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 編集後記 1998年 4月 

 フル・コムの近くに、近頃はやりの健康食品店がある。お酢や昆布、豆乳などが手軽に購入できるので、とても重宝している。
 先日、ちょうどお昼どきに行ったところ、たいへん太った女性が昼食を買いにきていた。ちらっと見ただけだったが、小さなパックのお惣菜を2つ買って帰っていったようだ。
 健康食品店のお惣菜パックを2つだけ? そんな食事で果たしてあれだけ太ります か?
 皆の手前、というか自分自身の言い訳に、ああしたものを買っているのだろう。他の場所ではとんでもないものを大量に食べているはずだ。でなければ、あんなに太るはずがない。
 要は体形だ。体形は、食事を始めとして、その人の生活を表現する、いわば決算書 のようなものだ。いくら健康食品店で、それらしきものを食べたからといって、実際 に太っているのでは話にならない。

 

 
 編集後記 1998年 6月 

 アメリカ版『GODZILA』が全米で公開されたのは、5月20日。以来、日本にもGODZILA情報が入り始めた。なんといっても悲しいのは、その姿。これはまるでトカゲそのものではないか。おまけに、ゴジラ最大の武器である放射能火炎も吐かないらしい。アメリカでゴジラが製作されると聞いて以来、多くのファンが不安に思っていたことが、現実となってしまったわけだ。
 船のレーダーに映る正体不明の巨大な物体。都市へと近づいてくる足音(なんと、足音がするたびに、車が宙に浮き上がるのだ)、徐々に崩れ落ちる高層ビル……、怪獣映画の定石を踏まえた予告篇(3つもバージョンがあり、それぞれが凝った作りだった)を見る限り、映画そのものは、かなり楽しめそうな雰囲気ではある。
 古くは『ハラキリ』、戦後には『東京暗黒街 竹の家』などなど、国辱とも呼ばれた、映画における日本の扱いは、非現実性を通り越して、シュールな魅力にまで達していたくらいである。それが今日、『SHALL WE ダンス?』の全米公開などが端的に示しているように、日本の文化が、映画という分野においても、少しずつ理解され始めた、という印象はあった。
 しかし、当の『SHALL WE ダンス?』を監督した周防正行氏がいみじくも語ったように、一国の文化が他国で理解されるということは、異質なものへと変化す ることでしかない。それが、あのアメリカ版ゴジラの姿に見てとれる気がする。  『スターシップ トゥルーパーズ』で、『風の谷のナウシカ』に出てきた王蟲をそっくり型取った宇宙生物が現れたりするところを見ても、アメリカ映画におけるモンスターに強調されるのは、怖さと気持ち悪さくらいであり、フォルムそのものに対する関心は極めて薄いとしか思えない。独創的なデザインといえば、せいぜいギーガーのデザインした『エイリアン』くらいのものだろう。
 『キングコング対ゴジラ』や『モスラ対ゴジラ』のような、その形体を美しいと感 じられるようなゴジラのフォルムは、もう現れることはないのだろうか。アメリカ版 『ゴジラ』の公開を目前にして、一抹の淋しさをおぼえずにはいられない.。


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 編集後記 1998年 7月 
 今、練習仲間の間で何かと話題になっているのは、『どろろ』。1969年の手塚治虫作品だ。今日、テレビなどでは放送禁止用語として、差別表現が排除されているが、この劇画は、その差別に対して真っ向から取り組んだものである。ここでその内容に触れている余裕はないが、目、鼻、口、耳はおろか、腕や脚さえもない「人間」 である主人公の百鬼丸が、他の人間と意識を通じさせる方法に、強く興味をひかれ、そして感動をおぼえざるをえない。
 相手の意識へ自分の意識を送り込むテレパシーのような手段なのだが、それを特殊な人間にだけ可能な超能力であるとしてしまってはいけないように思う。現代の情報伝達は、視覚や聴覚に頼り過ぎている。それらに頼らぬ伝達手段が確実に存在することを、たとえば相手とのど突き合いを行うことで、はっきりと感じることができるからだ。
 しかし、ど突き合いにおいても、我々はまだまだ視覚の情報に頼りがちだ。かつてブルース・リーが行い、今日でも誠道塾が実践している練習方法に、目隠しをしてのスパーリングがある。そこでこそ、視覚などに偏らない、意識伝達の新たな手段に対 する答えをつかめそうな気がしてならない。

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 編集後記 1998年 8月 
 ブルース・リーエキジビジョンの記者会見で、ブルース・リーの足跡を偲ぶ映像が 上映されている最中から、「それ」は現れ始めていた。決定的となったのは、リンダ 夫人とシャノンさんが登場されてからである。
 ブルース・リーの霊は、そのとき確実に降りてきていた。頭痛、眩暈、吐き気など 、肉体に生ずる現象の、いずれでも説明することのできない何かが、全身を駆け巡っていたことが、その証しであるはずだ。
 霊というものの実在は定かではないが、存在することは確実である。それは、よく言われるような、天から降りてくる類いのものではなく、私たちの内部に生き続けているのものなのである。
 昨年、京都映画祭へ赴いた折り、長年憧れていた大河内山荘を訪ねたが、ちょうど そのとき、大河内傳次郎の霊が強烈に感じられた。がっかりされるかも知れないが、 霊とは、超常現象というよりも、故人に対する残された者たちの強い思い、と言ってしまってもよいのではないだろうか。
 ところで皆さんは、大河内傳次郎を知っていますか?

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 編集後記 1998年 9月 
 今回は、選手としてではなく、カメラ担当として参加したムエタイチャレンジ。日本選手団の闘いは本当に素晴らしく、いまだムエタイにリベンジを果たせていない自分自身に対して敗北感をおぼえずにはいられなかった。
 タイでは、次から次へと仕事が入っており、日本にいるより忙しいという、おかしな状況となっていたが、そんな中にも時間を作り出しては映画館に飛び込むのが、何よりの楽しみだ。入場料は、日本円にして300円〜400円。たとえ古くても掃除の行き届いたきれいな館内に、全席がリクライニング。冷房も適度に効いていて快適なことこの上ない。  問題は入場券の購入。全席が指定のため、座席表を見て、好きな席を決めるのだが、スクリーン前の最前列が好きな私は、売り場のおばさんと喧嘩になることが多かっ た。あんた、そんな席は見づらいよ、という親切心から後ろの席を奨められるのだが、こちらも主義は譲れず、ひどいときには、コンピュータのモニタを壊してしまうという事態にまで陥ったことも……。最近は、少しは大人になったのか、適当に後方の席を買っておき、実際には一番前に座ってしまう、という至極簡単なワザも身につけ、入場もスムーズだ。
 タイの映画館で気に入っているのは、サイアムスクエア近くにあるスカラ座。1000人を軽く超える大劇場で、超巨大湾曲スクリーンが嬉しい。中央部がへこんだ画面に見入っていると、映画とは、決して視覚だけのメディアではなく、肌の感触に訴える、優れて触覚的なものであると、改めて意識せずにはいられない。

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 編集後記 1998年 10月 
 武術や格闘技の世界で、特別な存在である映画監督とは誰だろう?
 キン・フー、 ロバート・クローズ、チャン・シン・イェン、ツイ・ハークなどなど、何人もの名が浮かび、それぞれが意義ある業績を残してきたことはわかる。しかし、現在、その存在が最も特権的となったのは、台湾出身の女性監督アン・リーであることは間違いない。
 『推手』という映画を作ってしまったことを見ても、尋常ではないパワーを周囲に放ってやまないこのアン・リーは、昨年『アイス・ストーム』という映画を撮り上げ、日本でも今、公開されている。この映画には、何とブルース・リーが登場するのだ 。
 『フィフス・エレメント』で、ブルース・リーのスチールだけを映し出し、あげくの果てにはヒロインにブルース・リーの物真似までさせてしまったリュック・ベッソ ンのあまりに低次元なセンスに比べ、『アイス・ストーム』におけるブルース・リーの登場は素晴らしい。
 リーという名前を持つことだけで、これは一種の才能といえるが、ブルース・リーをその最新作に登場させてしまう、さりげない暴走を見せているアン・リーの今後に 、並々ならぬ期待を抱かずにはいられない。
 (中村)頼永さんは『アイス・ストーム』を見ているだろうか。

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 編集後記 1998年 11月 

 この頂肘を胸に打ち込めば、胸骨が折れて心臓に突き刺さるな――真剣にそう感じ られ、だいぶ功夫が身についてきたものだ、と天狗になっていたところ、突如として強敵が出現した。本誌でカメラを担当している多田氏である。
 馬歩立ちでの腰の落とし方からして、只者ではないところを見せているだけではな く、「毎日、何をすればいいのですか?」と編集長に尋ね、「今の馬歩立ちをすればいいよ」と言われれば、初心者なら通常嫌うところの馬歩立ちに、疑問をとなえることもなく素直に「わかりました」と取り組んでしまう。
 多田氏は、北斗旗体力別中量級での優勝経験者。さすがに一つの世界で頂点を極めた人は違う、と感心させられると同時に、天狗になっていた鼻を折られた思いであっ た。
 やはり試合で勝つための練習を怠ってはならない、と反省したところ、前回の試合から1年が経つことに気づく。世間は大会の季節となっているが、自分の中にも試合の季節がまた巡ってきたようだ。


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 編集後記 1998年 12月 

 年末、といえばベストテンの季節。といっても、ろくな試合もできない私が、格闘技名勝負ベストテン、なんてものを出すわけにはいかない。そこで、「見る側」に専念できる映画のベストテンを発表。
 新会社の設立、本誌の創刊などで、練習量と映画を見る本数が激減した今年だったが、「海での消滅」と「死からの再生」が見事なバランスを保つこの充実した作品群には、我ながら感心させられずにはいられない。

1位 バンドワゴン 2位 ラブ・レター 3位 HANA―BI 4位 バタフライ・キス 5位 この森で、天使はバスを降りた
6位 ニル・バイ・マウス 7位 エンド・オブ・バイオレンス 8位 アイス・ストーム 9位 TOKYO EYES 10位 トゥー・デイズ


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 編集後記 1999年 1月 

 このところ、めっきり冷え込んできて、いよいよ冬本番、の感が強い。
 十一月中、上半身は下着とワイシャツだけで過ごせたため、今年の冬は暖かそうだ、と油断していたが、十二月からはジャケットが必要になり、大晦日にはとうとうコ ートを着ることとなった(ただし、ジャケットの上にコート、ではなく、ワイシャツの上に直接コートを着るのが野沢流。どんなに寒くても3枚以上は身につけない主義なのだ)。
 寒さに強いということは、肌が強い、というイメージでとらえらやすいが、それは人間の身体を表面的にとらえた見方でしかない。太った人は皮下脂肪が多いので寒さに強い、と言われるのも、同様に誤ったとらえ方だ。
 現実を目を向けると、太った人に厚着や寒がりが多いことが分かるだろう。寒さに弱い、というのは、体内に摂り入れた燃料(つまり食べ物ですな)をエネルギーに変える能力が低いことなのである。外界が寒くても、体内の燃料を効率よく燃やし、内側から熱を発生させていけば、肉体の表面を厚く覆う必要はない。
 それでは、摂り入れた燃料をうまくエネルギーに変化させることができず、体内に残ってしまったら、どうなるか? これについては、もはや説明するまでもないだろう。


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 編集後記 1999年 3月 

 どうもお腹が張る、と怪訝に思いながら床に就いた晩、夜中になってお腹の張りが痛みに変わった。朝起きると、ひどい下痢。悪い物でも食べたのか?と思いつつも、 これを練習で治すか寝て治すかでさんざん悩んだ末、練習で治すことに決定。
 決意を固めた段階で、こっちの勝ちだと思ったが、いざ練習を始めると、体が思うように動かない。終了後は、食欲がなく立っているのもつらい状態で取材先へ赴くことになる。取材先で合流した中島カメラマンにこの症状を訴えると、典型的なインフ ルエンザの症状だ、と言われる。
 いざ、敵が判明してしまえば、あとは簡単。取材後、食欲はまだなかったが、しっかり食事を摂り、スティーヴン・セガールが細菌兵器をやっつける『沈黙の陰謀』を見てウィルスに対する闘志を燃やして帰宅。1時間ほど入浴し、たっぷり汗を流してから就寝。翌朝は、悪寒などの第二次症状が出ることなく、すっきりとした目覚めで、ウィルス撃退を確認できた。
 病原体が体に入らなければそれに越したことはない。重要なのは、入ってしまったときにどう対処するか、なのだ。病原体などを撃退するのは、薬や医者ではない。あくまで自分自身の力である。日頃から体を鍛え、正しい撃退法を身につけておけば、病原体に侵入されても怖くはない。
 短い時間であったが、食欲のない日に練習を敢行したことで、タイ取材中についてしまった1キロくらいの脂肪がすっきりと取り除かれたようだ。ウィルスに対する勝利と同時に、悪者をうまく利用する結果とできたことに、我ながら快哉を叫びたい気分である。


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 編集後記 1999年 4月 

 『燃えよドラゴン』のダブル・スティックをこよなく愛する私は、以前、中村頼永氏からシングル・スティックでの基本対打を直伝していただいた。先日ひょんなことから、それを山田編集長に見せたところ、早速中国武術の套路に当てはめ、動きが共通していることを指摘された。
 それ以来、ダブル・スティック套路が私のお気に入り練習となった。棒だけでなく、時には短い木刀を使ったりするのだが、いっそのこと中国の剣を使ってみようかと思い、フル・コム前の明治通りを新宿方向へ15分ほど歩いたところにあるイサミのプロショップへと赴き、伸縮制の剣を購入した。これをフル・コムに持ち帰ったところ意外な評判で、山田編集長は突然、三才剣の対打をやろう、と私に三才剣の型を指導 し始めてしまったほど。
 今回の特集で、伝統空手は総合的な戦いを想定しての技術体系をなしていたことを取り上げたが、同時に武器を基に基本や型が作られていることは広く知られるところであり、むしろ素手よりも武器を持った方が、動きはより整合性を持つものとなる。 中国武術は空手と異なり、武器と素手の動きがほとんど同じであり、武器でも素手でも共通した動作で攻撃が可能である点に、先人たちの絶大なる工夫が見てとれる。
 ブルース・リーが『燃えよドラゴン』で見せたダブル・スティック術は、払いから の打ちが中心であったが、私の場合、突きが6割、打ちが4割というダブル・スティ ック体系となっている。武術史を貫く一本の理が、自らの肉体に内在していることを 実感しながら、こうして練習に励むことができる幸福を感謝せずにはいられない。


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 編集後記 1999年 5月 

 約1年ぶりに断食をした。通常、完全に食を断つのは1日だけに留めるのだが、今回は初の3日連続に挑戦。といっても、急激な体質変化が生じたわけではなく、少々期待はずれの感もある。
 急激な変化はなかったが、いくつかの発見や貴重な体験はあった。「ゲム突」の取材で藤原道場に同行した帰り、ゲムラーの労をねぎらうために、日本料理店に寄ったのだが、その日は断食3日目。ビールや料理を正面に見据えながら、ひたすらウーロ ン茶を飲み続けた。
 酒肴を前にウーロン茶だけ……。神をも恐れぬ大酒呑みを自他ともに認める私にと って、生涯に二度とない体験となることは明らかだろう。


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 編集後記 1999年 6月 

 今月、最大の収穫は何といっても『ドラゴンへの道』との再会だった。ロードショ ー公開時に見て以来なので、実に25年ぶりである。どうしても1回では我慢できず2回見てしまったためか、チャック・ノリスとの戦いなど、じっくり目に焼き付けるこ とができた。
 以前からの懸案事項であった、後ろ足での斧刃脚が、実はあの状況ゆえに出した攻撃であることが判明。後日、中村頼永氏から、ジークンドーの防御から変化して斧刃脚の形となったことも教えていただけた。
 最終的な決め技はフロントネックロックだが、実質的には、チャック・ノリスの右 ストレートを一瞬にして擒拿(ちんな)で決め、直後にジーテックで膝をへし折った 時点で勝負は完全についた。瞬間的擒拿からジーテック。何と高度かつ自然な技の連係なのだろう。
 外的要素に分断された対シー・キェン戦などと違って、ブルース・リーの技術を純粋な形で見ることのできる『ドラゴンへの道』の傑作性が、チャック・ノリスの首を折って遠くを見つめるブルース・リーの視線と、道着を亡き骸にかけてやる行為を見ているうち、自分の中で加速度的に増幅し、涙が出た。


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 編集後記 1999年 7月 

 10年ぶりくらいで、蜂窩織炎にかかった。皮膚の中に化膿菌が侵入し、激痛が走る 。サンドバッグやミットを蹴り過ぎたり、疲労がたまったりすると、この症状にかか りやすい。打撃格闘技を行う人は、特に注意が必要だ。
 これといった治療薬はない。新陳代謝を活発にして、菌を早く外へ出すだけだ。今回は、すぐに対処し、また足の甲の先端くらいと狭い範囲だったせいか、一週間で痛みが完全に治まった。
 今回2度目ということで気づいたのは、疲労などの条件に加え、食べ物が影響しているのではないか、ということ。前回も今回も刺身などの生ものを多く摂っていた点が共通している。
 新鮮なものを生のまま食べるのがいちばん、といつも言っているが、そう手放しにもしていられないようだ。ひどく疲れたときには、生ものはほどほどに、というのが教訓か。


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 編集後記 1999年 9月 

 『アイズ・ワイド・シャット』なる映画を見終わって(といっても、確実に3分の2は熟睡していたのだが)映画館の外へ出ると、その夜は『マトリックス』の先行オールナイトがあるらしく、長い行列ができていた。先頭には、黒ずくめの服装にサン グラスをかけた、『マトリックス』のコスプレ集団が。
 お祭り気分でよいではないか、と思いながら眺めていたら、それなら中國武術で対戦してみたい、という気分が湧き上がってきた。『マトリックス』のクライマックスでは、カンフー対決で勝敗が決するからだ。この映画について、5月にバトルジャーナルで論じておいたが、そこで私は、キアヌ・リーヴスに絶対勝てる、と自信を持って書いている。  コスチュームを真似ることができても、カンフーで戦うことはできまい。あの場で コスプレ集団を蹴散らすのも一興だったはず。映画ばりに、敵のサングラスを半分割ってダウンさせる、なんてのも味があるな、などとアイデアは勝手に膨らんでいく。
 とはいえここは法治国家ニッポン。たとえ崇高なる中國武術を使ったとしても、人を蹴散らしたりしたら、ただの暴行犯で終わるだけだ。ふと我に帰って歌舞伎町の雑踏を後にする。道端でのど突き合いを思い浮かべるとは不謹慎な。最近、スパーリングが不足していて、人をど突く感触を十分味わっていないことの顕れだろう。


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 編集後記 1999年 10月 

 秋の空気が漂ってきた。歩くだけで汗が流れ出す夏も好きだが、秋も大好きだ。冬も春も好きなので、実は嫌いな季節がない。
 秋になって嬉しいのは、何といっても、魚がおいしくなることだ。もちろん、夏だってその節のおいしい魚はあるのだが、好みの魚が秋になると、一気に増えるのが嬉 しい。
 なかでも特に好きなのが、カキ。秋から冬は、これを存分に食べることが、何よりの楽しみだ。タイでは、1年中生のカキを食べることができるのだが、限られた季節にしか食べられないということは、一層の味わいがある。殻にへばりついたままの身をナイフで引きはがし、レモンだけを絞って食べるとき、それは至福の瞬間。あの生臭さがこの上ない快感だ。
 生ガキはもちろん、カキフライも土手鍋も、バター焼きもすべてOK。銀座にある ビアホールの老舗ピルゼンでは、冬場になると、生ガキ、カキのチーズ焼き、カキフライがメニューに加わるが、これをカキのフルコースと呼び、ビールを呑みながら、徹底的にカキだけを食べまくることが、カキに対する最上の接し方としている。
 ドイツの名宰相ビスマルクは、カキを生だか火を通してかは忘れたが、100個くらい(もっとか?)たいらげたという逸話がある。さすが鉄血宰相。ビスマルクに負けじとカキに挑み続けることは、武術鍛練などと同様、人生のテーマでもある。


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 編集後記 1999年 11月号 

 長い映画を見ることは、かなりの興奮をかきたてられるものだが、編集という不規則な仕事をしていると、なかなかまとまった時間がとりにくい。ぽっかり取材の空いた11月3日の文化の日、『風と共に去りぬ』なる4時間近い映画を見ようと、胸踊らせながら出かけていった。
 銀座で優雅なモーニングを味わってから、休憩時間用の食料品を買い込もうとして 映画館の脇を通ると、切符売り場に何やら人だかりができている。まだ上映の1時間 以上前だ。何かのまちがいだろう。立ち止まってよく見ると、「立見」の札が出てい る。何かのまちがいであることを確信しつつ、もう一度見ると、「本日は映画ファン 感謝デー」の看板が……。
 ここでやっと事の次第に気づく。毎月第一水曜日は、入場料が1000円になるの だった。しかも祝日に重なっていては、人が集中するのは当たり前。既に購入しておいた2000円の前売券を手に気力なく立ちつくすばかりだった。映画からふられることもあるのだ。
 重要なのは、こうした不測の事態に際し、すぐさま予定を変更できるか否かである。即座にフィルムセンター行きを決定し、そちらも混雑してはいたが、現存する最古に近い小津安二郎作品を、短縮版ながら何と3本も見ることができた。特にここで初めて見る『和製喧嘩友達』は、映画史をくつがえす驚愕の傑作で、生涯に何度とない 貴重な体験となった。  この『和製喧嘩友達』については、近くバトルジャーナルにて詳細を執筆するので 、お暇な向きにはどうぞ。


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 編集後記 1999年 12月号 

 1位 レイチェル・ワイズ  2位 ローラ・ハートナー  3位 イレーネ・ジャコブ  4位 マデリーン・ストウ  5位 ホイットニー・イエロー・ローブ  6位 ジーナ・ローランズ  7位 キャリー=アン・モス  8位 ファムケ・ヤンセン  9位 カーラ・グジーノ  10位 ジョアンナ・パクラ
 さて、これは何のリストでしょう?
 年末となれば、当然ベストテンの季節(誰がそんなこと言った?→もちろん、私だ)。昨年は、このコーナーで、98年の映画ベストテンを公表したので、今年は趣向を変えて99年映画女優ベストテンとしてみた。
 説明は不要だろうが、1位になったレイチェル・ワイズの活躍ぶりは、『アイ ウ ォント ユー』『ハムナプトラ 失われた砂漠の都』『スカートの翼ひろげて』と、主演作が3本も公開されたという量的な面以上に、胸熱くさせる勢いがあった。
 10人という選にもれたものの、シェリル・リー、チャイナ・チャウ、キャサリン=ゼタ・ジョーンズ、ケリー・マクドナルド、リーリー・ソヴィスキらも鮮烈な存在感を発揮し、来年が大いに期待される。
 なお、1999年の映画ベストテンは、1位『ガッジョ・ディーロ』、2位『スカ ートの翼ひろげて』、3位『永遠と一日』が上位3本を占めることとなった。


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 編集後記 2000年 1月号 

 昨年の格闘技十大ニュースとして挙げられるものの一つに、「練習へ棍を導入」と いう項目がある。「神槍李書文」と称された、八極門の達人李書文は、ラン、ナー、チャーの三動作を徹底的に反復することによって、槍の極意を自得していったらしい が、こうした単純動作の反復は、不器用な私とってたいへん親しみやすいもので、ラ ン、ナー、チャーの三動作を何種類かに組み合わせながら、右構え、左構えの両方を合計して、一回の練習に最低千本は行うようにしている。
 しかし、私の使っている棍は、長さが2メートル程度しかない。大槍と呼ばれる本場の槍は、もっと長く重く、持っているだけで疲れてしまう代物なのだ、と識者から 聞かされた。といっても、日本で大槍が簡単に手に入るわけでもなく、それならこれで、と物干竿を使ってみる。
 そう、どこの家にもある、金属にビニールを巻いた物干竿だ。長さは3メートルくらい。大槍とはだいぶ違うが、この長さと重さは持っているだけできつい。突きは何とかなるのだが、ランやナーの回転動作が円滑に行えない。四苦八苦しながら左右合わせてせいぜい百本程度で指に力が入らなくなってきた。
 これは長き道のりができた、とは思ったものの、同時に、これほど扱いが難しい武器が果たして実戦にどれだけ役立ったのか、との疑問も湧いてくる。日本刀のデリケートさも、操作を難しくさせるに十分なものだが、そういった武器と同様に、そうたやすくは扱えない武器を、長い鍛練によって自由に使えるようにしてこそ、素人のと うてい及ばぬ次元へと到達できるという考えの下、先人たちの強いて与えた障害が大槍だったのだろうか。


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 編集後記 2000年2月号 
 ブルース・リーに対する想いが、映画の世界にも深く浸透してきた現況は、たいへん喜ばしいことであるが、それは同時に、想いを表現する能力の如何が残酷なまでに露呈してしまうことにもつながっている。練習仲間の間で一時期話題になっていた『ファイト・クラブ』などは、著しく能力を欠いた表現の端的な例に他ならない。 『ナイトフォール』というTVドラマでテコンドーを駆使するヴァンパイアキラーを演じた(らしい、というのは、私はテレビもビデオも見ないから)サラ=ミシェル・ ゲラーがヒロインとなる『バニラ・フォグ』という映画は、『燃えよドラゴン』にお ける鏡の間を、本作に劣らぬ艶めかしさで再現した傑作である。既に上映は終わっているので、見ていない人(がほとんどだろうが)は、ビデオが出たら、是非チェック してほしいところだ。

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 編集後記 2000年 3月号 
 半年ぶりのタイ国は、いつもながら映画がかなり充実し、アメリカ映画、中国映画、タイ映画(もちろん、タイ語音声で字幕はなし)など、お国柄を反映した作品の数々を楽しむことができた。
 中でも、抜群のおもしろさを発揮していたのが『DEUCE BIGALOW』。 冴えない水道管工事人が、ジゴロの身代わりとなって、騒動を巻き起こすもの。主演 と脚本を兼ねたロブ・シュナイダーが素晴らしく、世界にはこんな才人がいるのだ、と感心させられる。
 日本での公開は未定、というか、まずあり得ないだろう。セリフだけで笑わせる種類のコメディではないため、日本でも受け入れられるはずなのだが。ま、すべての映画が日本で上映されるものではないのだから、残念がるのはむしろ自分の怠慢を自白 しているようなものか。

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 編集後記 2000年 4月号  
 ゲム突参戦の際に左の膝を傷めてしまい、しばらくの間びっこをひいていたら、左の背中と腕まで痛みが生じてきた。
 あらゆる自己治療を施して、だいぶ回復してきたが、意外な効力を発揮したのが「健康棒」。週刊誌を丸めてタオルでくるみ、古い靴下を履かせただけのものである。
 この上に仰向けとなって乗り、背骨の各箇所を伸ばすようにする。乗っていると、 いつしか眠りに落ちてしまうから驚きだ。
 肩や腰、さらには不眠にも効く(?)健康棒。一度試してみることをお勧めします 。

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