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 15/第拾五篇 ウィズアウト・ユー 映画作りの映画を分け隔てるもの 

 映画作りの映画、というものがある。映画は、時として自らを作り出す工程を題材として成立してしまうのだ。ある意味では歴史的な必然かも知れない。しかし、映画作りの映画を作ることは、危険な分岐点に立つ行為でもある。

 映画制作の現場や映画作家の個人的な悩みなどを描くことによって、映画作りの映画は成立する。だが、それらは殺人を犯す人間と殺人者を追跡する人間を描くことと違ってはいない。恋に落ちた男女を描くこととも同様である。

映画作りの行為が、単なる題材の一種に終わっているからだ。映画作りを取り上げるだけで、その映画に特別な意味を持たせてくれるほど、映画は甘くない。
 では、この映画はどうか? 『映画に愛をこめて アメリカの夜』である。これほどまでに直接的な映画作りの映画はない。映画制作の現場、監督の苦悩、俳優たちの群像など、映画作りの映画に必要十分な要素に満ち溢れている。

 『アメリカの夜』が、『8 1/2』や『グッドモーニング バビロン』や、その他無数の映画作りの映画たちと決定的に異なっている点は、映画の誕生を描き得たことに尽きる。数々の困難を乗り越え、監督以下スタッフ一同は、映画を完成させる。これほどわかりやすい映画の誕生はないだろう。

では、この映画はどうか? 『ことの次第』である。この映画の中に登場する映画監督は、フィルムが尽きたことによって映画制作の中断を余儀なくされる。制作費の調達に当たっているべきプロデューサーは失踪したまま。何とかこのプロデューサーを探し出したものの、彼はマフィアの金に手を出してしまっており、凶弾に倒れ、そこに居合わせた映画監督までもが射殺されてしまう。

 映画の完成が映画の結末となった『アメリカの夜』と、何たる違いなのだろう。映画はついに完成されず、主人公は犬死にしていくだけ……。にもかかわらず、これは映画の誕生を描いた映画に他ならないのである。
プロデューサーが銃殺された瞬間、主人公の映画監督は、とっさに8ミリカメラを構える。刑事物の主人公のように銃を構えるのではない。何ら自己の防衛につながらない8ミリカメラを構えるのだ。視界はそのカメラからの映像に切り替わり、地に伏していく主人公と共にカメラは斜めになって崩れていく。

 映画の誕生とは、この瞬間なのだ。映画作りに必要なのは、膨大な制作費でも、35ミリのフィルムでも、プロの俳優たちでも、ロケ地でもなく、カメラを構えて撮影することだった。

 映画外的なものにとらわれたままだった主人公が、映画へと回帰し、純映画ともいえるものを撮影しながら死んでいく。『ことの次第』は、『アメリカの夜』と対局にある展開ながらも、最終的には映画の誕生へとつながっていく点で、映画が映画へと収束していく最も濃密な映画たりえているのである。

さて、『ウィズアウト・ユー』は?

 ……というわけで、『ウィズアウト・ユー』についてはまったく触れずにきてしまった。『アメリカの夜』と『ことの次第』を書いてしまえば、もう自分の中で十分に満足してしまった感じだ。

 『ウィズアウト・ユー』も、映画の誕生につながる優れた映画なのだが、あの2本が来てしまっては、少々苦しい立場に追いやられてしまう。『ウィズアウト・ユー』のどこがどう映画の誕生なのか?

 もう述べる気もなくなってしまったので、あとは皆さんの判断の委ねておけばよいだろう。

 

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 16/第拾六篇 WHO AM I? 思想としての映画 

 いきなり80年代的な見出しをつけてしまったが、そう表現せざるを得ないものが、他ならぬジャッキー・チェンの映画なのだから仕方がない。

 映画とは、思想が如実に現出する場である。ここで言う「思想」とはジャン=リュック・ゴダールの映画において、毛沢東の語録や共産党のスローガンなどが、文字や台詞として引用されることを意味してはいない。それらは、道路や家や山などと同様、風景の一環としてしか、映画の中では機能していない。映画においての風景とは何かを理解していない人間がまんまと罠にかかり、ゴダールと共産主義思想の関連などを声高に主張するようになる。

 ゴダールの例はむしろ特殊かも知れない。ジャン=ポール・サルトルが脚本を担当した『賭はなされた』が実存主義映画になるわけではなく、構造主義のウンベルト・エーコが著した『薔薇の名前』を映画化したところで、それが構造主義的なものになるわけでもなく、社会派として知られる山本薩夫の諸作品が描く社会主義、共産主義的な行動なども、あくまで風景の一環でしかない。

 では、ギリシアの現代を描き続けてきたテオ・アンゲロプロスはどうだろう?どっこい、これは思想そのものである。10年に1本しか映画を撮らない、スペインのヴィクトル・エリセも、たった3本の監督作が、まさしく思想たり得ている。映画を作るという行為に出れば、それは必然的に思想とならざるを得ない。にもかかわらず、山本薩夫のような例が生じるのは、映画という言語を理解しようとせず、文字言語によって著された概念だけしか信じていないからである。

 ジャッキー・チェンは、映画を作るという作業の中で、「思想家」と呼ぶ他はない態度を維持している。その思想とは、「上と下への眼差し」。これしかない。文字にしてしまえば、実に単純だ。しかし、上と下こそが、映画を成立させる根本的な、しかも映画を破壊することにもつながる要素であり、それに対する意識を絶やすことなく、しかも自らの肉体によって活性化させているのがジャッキー・チェンなのだ。

■映画の限界とジャッキー・チェンの悲劇
 ジャッキー・チェンは、映画の中で何度となく落下する。その落ち方は、数多くのヴァリエーションを生み出してきた。今回の『WHO AM I?』でも、ジャッキー・チェンはヘリコプターから落下している。それでも彼は死なない。実際に人を落としてはいけないという映画の不文律を超えて、自ら落ちながらも死なずにすむにはどうしたらよいか、という大命題に向けて取り組んでいる点に、ジャッキー・チェンの映画史における存在意義がある。

 同時に、落ちずにいることもまた重要な課題となる。宙吊りでの戦いや、天と地の逆転など、これに関してもジャッキー・チェンは、さまざまなアイデアで解決に挑んできた。『WHO AM I?』で、落ちずにいる場となるのは、斜面が作られた高層ビルである。まずは滑り下り、途中で立ち上がって駆け下り、また転んで滑り下りる。この大アクションを数台のカメラでとらえたシーンが、この映画のクライマックスを飾る。

 数台のカメラのうち1台は、ビルを真上からとらえる空撮である。真上からのショットは、せっかくの斜面がほとんど平面に見えてしまう。ビルの屋上から落ちそうになるショットなら、危険性がはっきりわかるのだが、対象が斜面では、せっかくジャッキー・チェンが命懸けのスタントを行っても、危険なイメージが伝わりにくいのだ。

 おまけに、ビルの下から見上げるショットでも、斜面よりもビルの側面が見えてしまい、怖さが発揮されない。スキーで急斜面を滑ってみればわかることだが、斜面の怖さは実際に自分がその場に立たなければ理解しにくいものなのである。それに挑んだジャッキー・チェンの試みは偉い。だが、せっかくのスタント(=思想)を理解してもらうには、カメラの位置(=わかりやすい文章)をより入念に模索すべきだった。

 ある意味で、ジャッキー・チェンは、映画を超えてしまったとも言える。同時にそれは映画の限界点であり、ここから新たなショットを発見していくことが、ジャッキー・チェンが真の映画作家として前進していくことにつながる。自分の置かれた危険な状況を、より明確に理解させるためにジャッキー・チェンがなすべきことは、まだまだ多い。思想家ジャッキー・チェンが陥っている悲劇がそこにある。

 


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